中国の観蓮節と象鼻杯

梅雨が明け、各地の蓮池や蓮田では「観蓮会」や「蓮まつり」が盛んに開かれています。なかでも「象鼻杯」は人気行事ですが、その歴史をご存じでしょうか?
蓮文化研究家の三浦功大(1942―2013)が著した『蓮への招待―文献に見る蓮の文化史』(2004年 西田書店)には「象鼻杯」の歴史に関する文献がいくつも載っています。
中国の文人が始めた象鼻杯。その歴史に思いを馳せながら「象鼻杯」を優雅にたのしみましょう。
以下は『蓮への招待』の「中国の観蓮節」からの一部引用です。

中国では盛夏の一時を親しい友人を招いて、蓮を鑑賞しながら宴をする観蓮節が生まれている。観蓮節の様子を伝える初出の記録は、北魏・正始(504- 508 )の鄭公愨(ていこうかく―生没不詳)の『雞跖集』に見える。
夏月三伏の際に、賓僚を率いて使君林(山東省)において暑を避るに、大いなる蓮葉を取て酒を盛り、簪を以蓮を刺て柄と通はしめて、茎を屈輸困て象の鼻の如くして是を伝へて各其酒を吸はしむ是を碧筩杯と名つく。とあり、夏月の酷暑の時、避暑地で友人たちと蓮の花を見ながら碧筩杯をして涼んでいる様子が出ている。碧筩杯は今日の象鼻杯である。また唐代・九世紀中期の文人・段成式の『酉陽雑俎』巻七「酒食」の「暦城の北に使君林がある」は『雞跖集』からの引用と思われる。(以下略)

9世紀頃、観蓮節は夏の風物詩になっていたようだ。このような、観蓮会で行われていた象鼻杯(碧筩杯)の始まりは、東晋の書家・王逸少―義之(321―379)が41名の文人と会稽山の蘭亭で催した「曲水の宴」ではないかとされている。王其超氏(註・現代中国の花蓮研究家の第一人者)は王義之の『蘭亭の記』の「曲水の宴」を、『蓮之韵』の「荷花親和、故事十則」で、次のように記している。(註・中国語文は省略)

東晋の大書家・王義之は蘭亭で「曲水の宴」を催した。文人たちが渓席に座し、上流から蓮の葉に乗せられた盃がが流れてきたら、酒を飲み干し詩を一首詠む。このような「曲水の宴」で使用された蓮の葉がやがて、直接蓮の葉に酒を注ぎ茎から吸うようになったのではないだろうかと記している。

この「曲水の宴」の故事を江戸時代の画家・狩野山雪(1590―1651)が描いている。
「蘭亭曲水図屏風」(八曲二双 17世紀 京都・随心院蔵)は三二扇の長大な画面全面に渓流が流れ、所々に文人が座し、流れてきた蓮の葉に乗る盃を飲み干し、思案げに詩を吟じている様子や、かいがいしく手伝っている子供たちの姿や、残った酒を飲み干している子供などが生き生きと描かれている。(以下略)

 

 

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