日別アーカイブ: 2013年2月7日

続日本紀(しょくにほんぎ)

『続日本紀』は、平安時代初期に編纂された勅撰史書。『日本書紀』に続く六国史の第二にあたる。菅野真道らが延暦16年(797年)に完成した。文武天皇元年(697年)から桓武天皇の延暦10年(791年)まで95年間の歴史を扱い、全40巻から成る。奈良時代の基本史料である。編年体、漢文表記である。

同書の光仁帝 宝亀六年(775)8月12日の条に、「始設蓮葉(はちすば)之宴」(始めて蓮の葉を観賞する宴を催す)  とある。これはわが国で初めて開催された観蓮会と解釈されている。また、『類聚国史』の延暦12年(792)8月7日条に、「8月ぼ癸丑、翫蓮葉宴飲、奏楽賜祿」(蓮の葉を翫びて宴飲し、楽を奏して祿を賜う)とあり、中国で行われていた、観蓮の宴が伝わったと思われる。

「観蓮会」は、盛夏の早朝の涼しい時間に、友人や知人を誘って蓮の香りをきき、美しい蓮を見ながら、蓮酒やお菓子を食べながら歓談をする行事です。図は1930年頃の中国・北京での観蓮会風景。『北京風俗図誌』(1986年 平凡社)より

北京観蓮会2

 

 

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蓮文様の鐙瓦(あぶみかわら)

蓮文様と言えば、寺院の軒先を飾る鐙瓦(軒丸瓦)ではないだろうか。一重や八重の満開の花蓮を真上から見た瓦である。。

瓦の誕生は、中国は西周(紀元前十一世紀  ー 紀元前八正規)に遡るようである。中国での蓮の花は、大地の地母神であり、開花と同時に沢山の実(雌しべ)を付けていることから、子供がたくさん授かる「子孫繁栄」、「夫婦佳偶」の寓意が込められている。また、天の中心である天帝を象徴したのが蓮の花であることから、四時の運行の枢要の位置を占める太一の神=天帝の象徴でもあった。このような寓意をこめられた花蓮が寺院の軒下を飾るのに最もふさわしい花であったろう。

日本へは百済国より、崇峻天皇元年(588)、朝鮮の瓦職人とともにもたらさされ、飛鳥寺(法興寺)の屋根を飾ったのが最初である。その後、聖武天皇が、国家の平安を祈念して建立した、国分寺、国分尼寺の軒先も蓮文様の瓦である。

瓦

 

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 「金光蓮」(きんこうれん)

紅蓮 一重   『池のにしき』には、次の書き込みが添えてある。

「6月14日写生、浄台蓮も如□(判読不可)香」、「暁手蓮花かるし、金光蓮ハ花二重也。□香ハ三重也。大キサもおなし。濃衣ハ毎葉、金光おなし色也。廬山紅蓮なれもつく。金光暁手なれもつく。一葉大如図」とある。

「金光蓮」は、明治36年(1903)の東京三田育種場の水生植物の販売目録である『水彩四君子』に載っているが今日では伝わっていない。図は岩崎灌園著『本草図譜』より

蓮金光

 

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