日別アーカイブ: 2013年3月2日

蓮のバッジ

ベトナムに行った友人からのお土産です。小さなバッジですが、日本や中国とも違う雰囲気で、蓮弁がひらりと風に舞っているようなデザインが楽しい。アメリカにある黄花蓮、ベトナムにもあるのかしら?

ベトナムバッチ補正

カテゴリー: 蓮コレクション | 蓮のバッジ はコメントを受け付けていません。

青蓮(しょうれん)の眼(まなこ)

2月27日「蓮に豆知識」の「幻の青い蓮」で、紹介した、「青蓮」(しょうれん)について、歌人、文芸評論家であった上田三四二氏(1923~1989)の『花に逢う 歳月の花』(1983年 平凡社)に、「青連の眼」(しょうれんのまなこ)と題する1200字ほどのエッセイが載っているので紹介する。

青連(しょうれん)の眼

青蓮。この語に、何かゆかしく慕わしい情緒がまつわりついていると感じるのは、私だけのことだろうか。それは青連院という京都粟田口の古い寺の名や、青蓮院流という和様書道の流儀の名などに誘われながら、いつとなく私のなかに住みついた情緒であるらしく思われる。

わけても釈迦の臨終を描いた「涅槃経」の次の一行は、青蓮によせる私の情緒を決定したと言っていい。孫引きだから間違っているかもしれないが、それはこんなふうに読まれる。

「青蓮の眼(まなじり)は閉じて永く慈悲の微咲(みせう)をとどめ、丹菓(たんくわ)の抄唇(くち)もだしてつひに柔軟の哀声をたえにき」

これはまるで、この上ない女人の死際である。こんなに切なく匂いやかな臨終の描写を私はほかに知らない。

青蓮はもと、美しい女人の眼にたとえられたらしい。が、文献上では、それはもっぱら仏の眼の形容に用いられている。「梁塵秘抄」にも、

弥陀の御顔(みかお)は秋の月 青蓮の眼(まなこ)は夏の海 四十の歯ぐきは冬の雪 三十二相春の花

とあって、これも仏の相好を讃える。青蓮といえば「青蓮の眼」であり、仏眼意外に青蓮の語の用いられていることはまずないようである。(以下略) 『花に逢う』には、「青蓮眼」のほか、「蓮の花の開く音」、「蓮花のおとめ」、「仏の花 蓮」のエッセイが掲載られている。

花に逢う

 

 

カテゴリー: I love lotus | 青蓮(しょうれん)の眼(まなこ) はコメントを受け付けていません。