月別アーカイブ: 2013年5月

蓮と恐竜のバッグ

町田市玉川学園のギャラリー<季の風>で展示販売中の「平川亜矢子ハンドメイドバッグ展」に、蓮の葉をかつぐ恐竜のハンドバッグが登場。なんともユーモラスな図柄。恐竜はスパンコールとビーズで作られ、蓮の葉は布でアプリケされている。蓮と恐竜の組み合わせは突飛に思われるが『世界の花蓮図鑑』の「花蓮学ノート」によると「恐竜が絶滅したとされるのは、約7000万年前。それまで長年にわたり地上の覇者だった。ところで蓮は、遅くとも1億年前には、やはり地上に生息されていたとされる。だとすれば、最低3000万年ほど、蓮と恐竜は共存していた計算になる。(後略)」同書には、ハバロフスクの郷土資料館に、恐竜が蓮を眺めている展示物の写真が掲載されている。
6月2日(日)まで開催中。(オープン・11時-18時)042-727-8724

恐竜と蓮バッグ

カテゴリー: 蓮関連ニュース | 蓮と恐竜のバッグ はコメントを受け付けていません。

文房四宝 2 「墨」の蓮文様

中国産の墨には蓮文様の物がたくさんあるようです、大きさも大小さまざまです。筆者は書をやりませんので、硯同様、墨の良い悪いがわかりませんが、文様を見ているだけで楽しいです。

図の墨は、20×10.5 センチで漢詩の挿絵にでてくる、採蓮図の文様です。

DSCN8706

カテゴリー: 蓮コレクション | 文房四宝 2 「墨」の蓮文様 はコメントを受け付けていません。

文房四宝(ぶんぼうしほう)の内の蓮文様 1、硯

文房四宝は、中国文人の文房趣味のひとつで筆墨硯紙の四つを指す。別に文房四友(ぶんぼうしゆう)という言い方もある。これらは文房具の中心であり、特に賞玩の対象となった。この四つの文房具の中でも特に硯が重んじられ、多くの文人に愛でられる対象となった。使用しても消耗することがなく、骨董価値が高かったためである。次に墨・紙という順で、筆は新しくないと実用的でないので骨董的な価値に乏しく、愛玩の対象とはあまりならなかった。

南唐文化の影響を色濃く受けた宋代以降に文房四宝が語られることが多くなった。硯は端渓硯が最も有名であるが、歙州硯も同じくらい賞玩され、墨も歙州に名工と評される李超・李廷珪父子が名を馳せた。紙についても、歙州にて澄心堂紙という極めて良質の紙が産出された。宋初には硯・墨・紙について、歙州は代表的な生産地となっていた。これは南唐の国王である李中主・後主の親子2代にわたる工芸優遇政策によるところが大きい。工人に官位を与え俸禄を優遇したため、優秀な人材が集まり、技術が高度化して、優れた製品を継続的に生産できるようになったのである。南唐期の文房四宝は歴代皇帝に珍重され、復元が試みられた。

文房四宝 1 「硯」の蓮文様

硯は大変人気のある文物のようである。特に「端渓硯」は一番人気があるようであるが、小生にはその良さが残念ながら分からない。DSCN8705

カテゴリー: 蓮コレクション | 文房四宝(ぶんぼうしほう)の内の蓮文様 1、硯 はコメントを受け付けていません。

「蓮」    斎藤正二 1925年生 日本文学者 

ハチスの語源は、たとえば、『和漢三才図会』(1713年刊)に「蓮 和名波知須。蓮房以蜂巣故名之。又略曰波須」と見える記事によって代表されるように、この実が蜂巣に似ているところから名づけられた、というふうにいわれている。この通説に異を立てるつもりはないが、わたしなりに調べた範囲では、どうもこれは辻褄(つじつま)が合いすぎて こじつけ としか見えない。蜂そのものは、『古事記』上巻の大国主命の根国訪問の条に「蜂の非礼(ひれ)」が見え、また『日本書紀』皇極天皇二年の末尾に「是歳 百済太子余豊(こんきしよほう) 以蜜蜂房四枚(みつばちのすよつ) 放養於三輪山。而終不蕃息(うまはら)」が見える記事から推すと、久しく日本列島から恐怖の対象とされ、七世紀以後になってやっとのこと朝鮮半島の密蜂飼養技術の輸入を見たというにすぎなかった。なんにしても、蜂がひとびとからしたしまれていなかったことだけは確実である。そうだとすれば、花も美しければ根もまた食べられるという、すてきでもあり有益でもあるこの渡来種の水草にわざわざ憎まれっ子の蜂の名を冠(かむ)せるなどのことがあり得ようとは、ちょっと考えられない。それに日本上代語のパターンからすると、蜂巣は、ハチスでなくて、ハチノでなければばらない。通説には、どうしても無理があるように思う。

しからば、本当の語原は何かということになるが、それに答えるすべは当方にもない。当方は、むしろ、あいまいな語原を追い求めるより、はっきりわかっている原産地におけるハチスの名称をおさえておくべきである、との科学的立場にとどまることをよしとする。(つづく) 『植物と日本文化』(八坂書房 1979年)より。

DSCN8695

カテゴリー: I love lotus | 「蓮」    斎藤正二 1925年生 日本文学者  はコメントを受け付けていません。

「古染付と祥瑞」展

「古染付と祥瑞」展が、6月30日まで、出光美術館で開催されています。

日本人が愛してきた<青>の茶陶です。中国明時代末期、景徳鎮民窯で焼かれたものです。古染付(天啓年間)・祥瑞(崇禎年間)と呼ばれる青花を主とする一群のやきものにたいする、日本での呼び名です。自由で庶民的な雑器である古染付と、端正で高い技巧を示す祥瑞。中国磁器でありながら日本人に愛された磁器です。

今回の展示されている中に、蓮文様は、「古染付周茂叔文皿 明時代末期 景徳鎮窯」、(図版 絵葉書)。「古染付唐子皿 五客 明時代末期 景徳鎮窯」。「古染付周茂叔文香合  明時代末期 景徳鎮窯」の3点でした。他に、伝雪舟の「四季花鳥図屏風」(六曲半双 室町時代)に紅蓮が描かれています。

出光美術館(03-3213-9402) 開館時間10時~5時 入場料¥1000円。

DSCN8702

カテゴリー: 蓮関連ニュース | 「古染付と祥瑞」展 はコメントを受け付けていません。

花中の君子   蓮        水上静夫 (1922~ 中国文学者)

泥中よりの清廉の使者  蓮

蓮はインドが原産地であるということは、植物学の定説であるようである事実、インド上空を飛行機でとぶと、わが奈良県の五万に及ぶ沼地以上に、多くの沼沢池があり、そこに野生の蓮が群生しているといわれている。インドに興った仏教でも、蓮は釈迦の台座にあり、また、また、極楽の一つのシンボルでもある。わが国の蓮は中国からの輸入とされそれ以前のものと思われる化石も出てくる。いったい、植物の原産地を一か所に限定するのは、植物学界の習わしのようである。ところが、中国の古代植物を眺めていると、先泰時代にすでに「蓮」と「葦」に十箇以上の名称があったことが窺える。私は、中国の古代植物に興味を持ち始めたころ、かなりの困惑を感じたものである。そして、ダーウィン(1809~1882)の、『種の起源』の第二章の「疑わしい種」の項に、

  私は、もし自然状態にある動物または植物がきわめて人間に有用であるか、あるいは何かの原因で人間の注意をひくとき、その変種がほとんど普ねく記録されているという事実に吃驚した。

という考えを準用して処理している。中国の「葦」も「蓮」変種名ではないが、古代のそのように数多い関連の名称があるということは、それだけ有用度が高く、人びとに認識されていたからと思うからである。そこで、その各々の名称を眺めてみることにしよう。およそ、事物の古い名称を探ってみることほど面白いことはない。(続く) 『花は紅・柳は緑』八坂書房 1893年)より。

DSCN8693

カテゴリー: I love lotus | 花中の君子   蓮        水上静夫 (1922~ 中国文学者) はコメントを受け付けていません。

日本蓮学会 会報1号が出来ました。

版形 A4(A3を2つ折り4ページ カラー)

目次

花蓮は明日を拓く 英文併記

日本蓮学会創立の趣意

ホームページ開設

・花蓮図監

・I LOVE LOTUS

・蓮学文献解題

・蓮の豆知識

日本蓮学会例会案内

ご希望の方は事務局まで。

DSCN8691

カテゴリー: 蓮関連ニュース | 日本蓮学会 会報1号が出来ました。 はコメントを受け付けていません。

ヨーロッパ更紗に見られる蓮

インド発祥の木綿の模様染め・更紗は17世紀末からヨーロッパに輸出され、イギリス刺繍のような華麗な樹木や花を染めた東洋趣味のものがある。主として王侯貴族の室内装飾やドレス、ガウンなどに使われた。蓮が染められた更紗3種類。

更紗青更紗2更紗3

 

カテゴリー: 蓮コレクション | ヨーロッパ更紗に見られる蓮 はコメントを受け付けていません。

感得蓮(かんとくれん) 一名(水戸感得蓮 みとかんとくれん)

白蓮 一重 大形

『白川候蓮譜』(国会図書館蔵),『水栽四君子』(明治36年)には、「水戸感得蓮」の名前で載っている。

『池のにしき』には、8月5日(写生)、「和蓮皆如此」とあり、『本草図譜』には、花豊に全く白色なり」とある。また、『水栽四君子』には、「極白爪青単弁大輪」とある。

蓮の花の名前にしては、変わっているので「感得」を、広辞苑で引くと、「1.感づくこと。幽玄な道理などを悟りしること。2.信心が神様に通じて、願いがかなうこと」とある。

江戸末頃から明治初期頃に模写されたと思われる、『白川候蓮譜』(絵師不詳)に、なぜ「水戸」の名前が付けられているのか不思議です。水戸と言えば、すぐ水戸光圀(義公1628~1700年)が思い浮かびます。文人としてもかなりの趣味人であったようである。

水戸の庭園や後楽園の池に蓮を植えて楽しんだ記録が残されています。『水戸義公全集』(上、中、下)には、和歌が三首、漢詩が約20首、載っています。明治末頃までは、栽培されていたようですが、現在は、伝わっていません。図は、『清香画譜』(1922年頃)に載っている「感得蓮」。

DSCN8687

カテゴリー: 花蓮図鑑 | 感得蓮(かんとくれん) 一名(水戸感得蓮 みとかんとくれん) はコメントを受け付けていません。

からし蓮根

デパートで「九州の味と技展]を開催していたので、久しぶりに熊本の「からし蓮根」を買った。厚めに切って先ずは一切れ。いきなり鼻にツーンときた。蓮根の穴に何かを詰めた調理法はいろいろあるが、インパクトがあるのは「からし蓮根」が断トツだろう。寛永九年(1632)細川家初代城主忠利公が病弱だったため、禅僧が鉄分の多い蓮根食を進言し、藩の賄方だった平五郎なる人物が、熊本名産の麦味噌に和がらし粉を混ぜ、予め茹でておいた蓮根の穴に詰め、麦粉、空豆粉、卵黄の衣をつけて菜種油で揚げたものを差し出したところ、忠利公は喜ばれ常食、剛健になったという。この調理法は明治維新まで門外不出だった。今の時期は熊本産の蓮根ではなく茨城産だとか。薄切りにしてマヨネーズをつければ辛みが和らぐそうです。

からし蓮根

 

 

 

カテゴリー: 蓮を味わう | からし蓮根 はコメントを受け付けていません。