カテゴリー別アーカイブ: I love lotus

芙蕖(はなはちす)幸田露伴

芙蕖(はなはちす)は花の中の王ともいふべくや。おのずから具はれる位高く、徳秀でたり。芬陀も好し。波頭摩も好し。香は遠くわたれど、巖柱、瑞香、薔薇などのように、さし逼りたるごときおもむき無く、色はすぐれて麗はしけれど、海棠、牡丹、芍薬などのやうに媚めき立てるかたにあらず。人の見るを許して人の狎(な)るゝを許さざる風情、またたぐい無く尊し。暁の星の光りの薄るゝ頃、靄霧たちこむる中に、開く音する、それと姿を見ざる内よりはや人をしてあこがれしむ。雲の峰たちまち崩れて風ざはざはと高き樹に騒ぎ、空黒くなるやがて夕立雨の一トしきり降り来るに、早くも花を閉じたる賢さ。大智の人の機に先だちて身をとりおき、變に臨みて悠々たるにも似たり。散り際も莟の時も好く、散りてののち一トひら二タひら漣漪(さざなみ)に身をまかせて動くとも動かざるとも無く水に浮かべるもおもしろし。花ばかりかは、葉の浮きたる、巻きたる、開き張りたる、破れ裂けたる、枯(から)び果てたる、皆良し。茄(くき)の緑なせる時、赭く黒める時、いづれ好からぬは無く、蜂の巣なせるものも見ておもむき無からず。此花のすずしげに咲き出でたるに長く打對ひ居れば、我が花を観る心地はせで、我が花に観らるゝ心地し、かへりみてさまざまの汚れを帯びたる、我が身甲斐無く口惜きをおぼゆ。この花をめずるに堪ふべき人、そも人の世にいくたりかあらん。『露伴全集 第29巻』昭和54年第3刷 岩波書店)より

 

 

 

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万病の薬として将来された蓮  遠藤證圓

ひらいた ひらいた 何の花がひらいた

レンゲの花がひらいた ひらいたと思ったら

いつのまにか つぼんだ

小さいころに、だれに教わることもなく聞き覚えて、よく唱った歌である。ここにいう「レンゲ」がレンゲ草「ゲンゲ」ではなく、蓮の花であることに気づいている人は、意外と少ないようだ。

蓮は夏の花の王者といわれ、近ごろは生け花の素材や趣味の園芸として、楽しむ人も増えてきたようだが、まだおおかたの人に、お盆や葬式の花と思われているには、仕方ないのであろうか。それはともかく、早朝の澄みきった空気の中に、ふくいくとした香りを漂わせながら露をたたえて開いた花の容姿は、独特の風格を持っている。

唐招提寺が蓮の寺として親しまれているのは、開山鑑真和上が中国のかたということと、蓮の多くが中国から渡来したものというイメージが、二重写しになってのことだろう。以下省略。『風月同天』(1991年 毎日新聞刊)より。『風月同天』所蔵しているのですが、見つかり次第、表紙を添付します。

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蓮華(れんげ)  谷川徹三(たにがわ てつぞう)哲学者

いつのころか、好きな花はと問われると、まず蓮の花と答えるようになった。白蓮、紅蓮、それぞれによい。清らかでいて豊かである。匂いもよい。葉の形もよい。

子供のころ裏山の蓮池へ遊びに行って蓮の葉をとって来た記憶がある。花をとってきた記憶がないところをみると、その葉を何かの用にあてたのかもしれない。あるいはその葉をもって何かの遊びをしたのかもしれない。盆の十三日の宵に、庭で蓮の葉の上に砂を盛り、その砂の上で精霊をよぶ火を炊いていたことも覚えている。しかし花についてのはっきりした記憶はない。

蓮の花の最初の記憶は絵である。四日市の叔母が近くに家を建て、その仏壇の扉に絵師に蓮の絵を描かせていたのを私はよく覚えている。その絵師というのが近所の知り合いの家の息子で、東京か京都かで絵を修業して国に帰ってきたのである。今から考えるとまだ三十前後の若者であったはずである。新築の家の一間へ毎日その絵を描きに来ていた。その蓮の花を私は美しいと思った。蓮の絵を描き終わると今度は唐獅子を二ひきまるく組み合わせた図案を描き出した。蓮の花は扉の内側にあり、唐獅子の図案が外側になっていたのである。(以下略)『随想全集1』尚学図書 1969年(p35~p42)より。

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青蓮(しょうれん)の眼(まなこ)

2月27日「蓮に豆知識」の「幻の青い蓮」で、紹介した、「青蓮」(しょうれん)について、歌人、文芸評論家であった上田三四二氏(1923~1989)の『花に逢う 歳月の花』(1983年 平凡社)に、「青連の眼」(しょうれんのまなこ)と題する1200字ほどのエッセイが載っているので紹介する。

青連(しょうれん)の眼

青蓮。この語に、何かゆかしく慕わしい情緒がまつわりついていると感じるのは、私だけのことだろうか。それは青連院という京都粟田口の古い寺の名や、青蓮院流という和様書道の流儀の名などに誘われながら、いつとなく私のなかに住みついた情緒であるらしく思われる。

わけても釈迦の臨終を描いた「涅槃経」の次の一行は、青蓮によせる私の情緒を決定したと言っていい。孫引きだから間違っているかもしれないが、それはこんなふうに読まれる。

「青蓮の眼(まなじり)は閉じて永く慈悲の微咲(みせう)をとどめ、丹菓(たんくわ)の抄唇(くち)もだしてつひに柔軟の哀声をたえにき」

これはまるで、この上ない女人の死際である。こんなに切なく匂いやかな臨終の描写を私はほかに知らない。

青蓮はもと、美しい女人の眼にたとえられたらしい。が、文献上では、それはもっぱら仏の眼の形容に用いられている。「梁塵秘抄」にも、

弥陀の御顔(みかお)は秋の月 青蓮の眼(まなこ)は夏の海 四十の歯ぐきは冬の雪 三十二相春の花

とあって、これも仏の相好を讃える。青蓮といえば「青蓮の眼」であり、仏眼意外に青蓮の語の用いられていることはまずないようである。(以下略) 『花に逢う』には、「青蓮眼」のほか、「蓮の花の開く音」、「蓮花のおとめ」、「仏の花 蓮」のエッセイが掲載られている。

花に逢う

 

 

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日本における蓮文様の展開   河田 貞(かわださだむ)

「水影濤濤(すいけいとうとう)に  蓮花灼灼(しゃくしゃく)たり」(万葉集巻第十六)。新田部親王(にいたべのみこ)が側近寵愛の婦人に、その美貌を奈良京勝間田池の蓮花にたとえて、賞美した時の蓮池の状景である。

夏の日のまばゆい陽光がたゆとう池の水面にゆらいで反射し、蓮花が一層照り輝いているという意であろう。炎天下に泥中から生時ながら、汚泥に染まらぬ清浄無垢な花を咲かせ、なおふくよかな感触と芳香を漂わせる蓮の気品の高さは、万葉の歌人をして美麗の代名詞のように言わしめ、また、清少納言が『枕草子』に、「蓮葉、よろずの草よりすぐれてまでたし、…中略…また、花なき頃、みどりなる池の水に紅(くれない)に咲きたるも、いとおかし…」とつづっている如く、まさに百花の君子にふさわしい趣をそなえた花というべきであろう。

花蓮を賞でる心は、朝鮮・中国はもちろんのこと、その原産が熱帯であるが故に、炎暑の地インドにおいて、蓮池に咲くすがすがしさは、人々の印象をより強烈なものにしたに違いない。前千五百年頃には、成立していたことが考えられるインド最古の神話、リグ・ベーダに既に蓮花にまつわる讃歌がとりあげられているが、ベーダ文化時代を通じて蓮花は更に神聖化され象徴化され賛美されたのである。

それは池中より生じて水面に開花する蓮花の造物主にもたとえられるような神秘な生命力に由来するものである。(以下略)、「蓮文様については、円形蓮花文、蓮池文、散蓮文、蓮唐草文、開敷蓮花文、の文章が続く。p18~p24」。

『日本の文様 25 蓮夏草』(1978年 光琳出版社)より引用。

蓮夏草

 

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「蓮は平和の象徴なり」  大賀一郎著

私の一生はハスの実のはじまり、その花や葉レンコンやハスイトから、マンダラ(曼荼羅)への道であった。

私は蓮の花を愛する。ハスは古来、夏の花の太宗である。花ばかりではない。葉の上に玉ところがる露の風情もまたひとしおであるが、ただそればかりではない。天地創造が水にはじまったという説からでもあるまいが、水に生じるこのハスに自ら清く高いあこがれをささげたのは早く文化の起こったインド、ペルシャ、エジプトあたりの人ではなかったろうか。太陽神ビシュヌの腹からハスがはえ、その中に梵天が生まれたということから蓮花座が起こったり、大蓮華蔵世界の話が出て、ハスは仏教信者の間に理想郷のシンボルになり、インドといえばハス、ハスといえば仏教というようになった。

中国にでも仏教渡来以前からハスが愛され、『詩経』や『爾雅』『説文』などにもくわしくハスのことが書かれている。唐代になると、ハスの花の盛時である6月24日を卜(ぼく)として観蓮会がはじまり、文人墨客を集めて今日にいたっている。宋代では、有名な周茂叔の「愛蓮説」なる119文字の名分が残されている。(以下略、興味ある方は、下記の書籍に掲載されています)

大賀一郎(1883~1965)植物学者。「ハスは平和の象徴なり」初出、『浅草寺』(1964年)。『ハスと共に六十年』(1965年 アポロン社)、『蓮は平和の象徴也』(1967年 大賀一郎博士追悼文集刊行会)、『蓮の文華史』(1944年 かど創房) などに収載。

本 蓮は平和

 

 

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「巨椋池(おぐらいけ)の蓮」 和辻哲郎著

「巨椋池(おぐらいけ)の蓮」 和辻哲郎著

  蓮の花は日本人に最も親しい花の一つで、その大きさ花びらの美しい湾曲線や、ほのぼのとした清らかな色や、その葉のすがすがしい匂いの肌ざわりなどを、きわめて身近に感じなかった人は、われわれの間にはまずなかろうと思う。
 文化の上から言っても蓮華の占める位置は相当大きい。日本人に深い精神的内容を与えた仏教は、蓮華によって象徴されているように見える。
 仏像はたいてい蓮華の上にすわっているし、仏画にも蓮華は盛んに描かれている。仏教の祭儀の時に散らせる花は、蓮華の花びらであった。

 仏教の経典のうちの最もすぐれた作品は妙法蓮華経であり、その蓮華経は、日本人が最も愛読したお経であった。仏教の日本化を最も力強く推し進めていったのは、阿弥陀崇拝であるが、この崇拝の核心には、蓮華の咲きそろう浄土の幻想がある。そういう関係から蓮華は、日本人の生活のすみずみまで行きわたるようになった。
 ただ食器に散り蓮華があるのみでない。蓮根は日本人の食う野菜のうちのかなりに多い部分を占めている。

 というようなことは、私はかねがね承知していたのであるが、しかし、巨椋池のまん中で、咲きそろっている蓮の花をながめたときには、私は心の底から驚いた。
 蓮の花というものがこれほどまでに不思議な美しさを持っていようとは、実際予期していなかったのである。(以下略)

 「巨椋池の蓮」の巨椋池は、京都洛南にあった大池で、昭和16年国策の干拓事業で田圃になってしまったが、それまでは日本有数の水生植物の宝庫であった。
 特に蓮の花の名所で、京都画壇の画家たちが作品に残している。そこを和辻が友人と観蓮に訪れた時の観蓮記である。観蓮記としては珠玉のエッセーですので、是非全文を読んでみてください。

和辻哲郎(1889~1960 哲学者)。初出、『新潮』(8月号 1950年)。 『埋もれた日本』(新潮社 1951年)、随筆全集』(尚学館 1969年)、『埋もれた日本』(新潮社文庫 1982年)、『和辻哲郎全集』(岩波書店 1961~63年)などに収載。

図は「巨椋池の蓮」が収載されている『埋もれた日本』(新潮社)、1971年(第7版)の表紙です。                                                           (この記事の投稿者は三浦功大)

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